活動報告Report 広島取材3日目 2015.4.20 / レポート 取材3日目は、企画者久保田の祖母に顔と名前は出さない条件で、被爆体験を伺いました。 この企画展がなければ、今まで聞くことも、祖母から話すこともなかった8月6日の話。 当時珍しく英語が話せた祖母は、南方の留学生と交流があり「あの日は日本人以外にも沢山の外国人がいた。最近までずっと彼らのことが気がかりだった。」と話し始めました。 祖母自身は怪我も少なく、人を救護する側にまわったそうですが、企画者の今の存在があるのは、この壮絶な時代を彼女が生き抜いて、命をつないでくれたからなんだなと。話を聞き終わった後に思いました。 2015.4.21企画展のコンセプトについて 2015.4.194月19日 広島取材2日目③ 活動報告トップへ戻る
広島取材3日目 2015.4.20 / レポート 取材3日目は、企画者久保田の祖母に顔と名前は出さない条件で、被爆体験を伺いました。 この企画展がなければ、今まで聞くことも、祖母から話すこともなかった8月6日の話。 当時珍しく英語が話せた祖母は、南方の留学生と交流があり「あの日は日本人以外にも沢山の外国人がいた。最近までずっと彼らのことが気がかりだった。」と話し始めました。 祖母自身は怪我も少なく、人を救護する側にまわったそうですが、企画者の今の存在があるのは、この壮絶な時代を彼女が生き抜いて、命をつないでくれたからなんだなと。話を聞き終わった後に思いました。 2015.4.21企画展のコンセプトについて 2015.4.194月19日 広島取材2日目③ 活動報告トップへ戻る