活動報告Report
ヒロシマの記憶を継ぐひとインタビュー 第2章 「語り」継ぐ
/ お知らせ
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
本企画をきっかけに、初めて70年前の出来事を語った代表の祖母。被爆前の話、救護側にまわった8月6日、そして、若い世代へのメッセージを伺いました。
Q.おばあちゃんは、今年90歳ですよね。終戦の年に20歳ということは、10代からずっと戦争の中を生きてきた、ということですか。
A.そう。小学生の頃には日清戦争があったし、戦争続きだった。
日本が満州帝国を作った頃には、夏休みに満州に遊びに行ったりしていたよ。
Q.昔から不思議だったのですが、その世代で英語を話せるのはどうしてなのでしょう。
A.当時通っていた学校に外国から来た先生が何人もいたし、教会のボランティアもしていた。色んなところに出入りしていたから。
Q.英語の授業があったということですか?
A.ミッションスクールだったからね。
戦争がはじまる前は英語の授業が普通に行われて、帰国子女も沢山いたよ。
学校では、これからの時代は3Mの時代、Motor(車)、Money(お金)、Men(人間)ということを習った。排他的な教育ではなかった。アメリカを憎めとか、そんな空気もなかった。
Q.戦争が始まってからは、ミッションスクールに通っていると、大変だったでしょう。
A.戦争がいよいよはじまるという時、外国から来た先生はみんな船で母国に帰らされた。
戦時中は、そりゃ、色んな意地悪があったよね。
スパイの学校に通っていると言われたり。特に憲兵隊には目をつけられて、まず垢抜けた先生が追放されて、他の先生が回されてきた。環境から変えられていった。
企画者祖母のインタビュー全文はこちらから
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