活動報告Report
ヒロシマの記憶を継ぐひとインタビュー 第2章 「語り」継ぐ
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今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
爆心地から4.1kmの軍需工場内で被爆し、その後すぐ家族の安否を確認するため市内に入られた河野さん。
当時としては珍しく「戦争をするのはつまらないことだ。」と思い、軍人として出世を望む父親とけんかをするような青年だったそうです。河野さんから見た70年前の8月6日をお伺いしました。
Q.河野さんは大変お元気ですね。現在おいくつでしょうか。
A.88歳になりました。被爆したのは18歳のときです。
Q.18歳というと学生だと思うのですが、当時、戦争をどう捉えていらっしゃいましたか?
A.お国のために全てを捧げるのがあたりまえの時代でした。
父は、私が早く軍人として出世することを望んでいました。
軍人として戦死することは名誉なことだと教育されていましたので、同級生の多くは「予科練」と呼ばれた海軍飛行予科練習生にあこがれ、志願する者もいました。
その中で、私はかなりの変わり者だったのだと思います。
「戦争は命を落とす つまらないものだ」と思っていました。
あの時代にどうしてそう考えていたのかは自分でもよくわかりません。
Q.その時代に戦争を否定するのは、とても勇気がいることではなかったでしょうか?
A.そうですね。父からは「志願して早く戦争にいけ。」と言われ、私は「犬死にしとうない。」と言って、よくケンカをしていました。「日本はいざというときには神風が吹く。」と信じている同級生たちとも言い争いになり「非国民じゃ。」と言われたこともありました。
河野さんのインタビュー全文はこちらから
→http://tsuguten.sakura.ne.jp/interview_kono/