第三世代が考える ヒロシマ「」継ぐ展

活動報告Report

4月15日(土)広島取材体験レポートのご紹介です。

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【4月15日(土)広島取材体験レポート】

◆宮城学院女子大学

   学芸学部 英文科3年 門馬礼音さん

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4月15日(土)私は、軍事服などの製造・保管をしていた広島陸軍被服支廠という場所を訪れ、当時中学生だった中西 巌さんのお話を伺いました。

8月6日当日、中西さんは被服支廠で働いており、輸送用のトラックを待っていたところ原爆に遭われたそうです。
気を失い、目が覚めた時には真っ暗で何も見えず、目が慣れてくると市内の方に黒い煙が見えたと仰っていました。

建物が影になり、幸いにも怪我や火傷もなかった中西さんは、今、後悔していることが1つあると伝えてくださいました。
それは、助かるかもしれない命があるにもかかわらず何もできず、自分だけ自宅へ向けて帰ってしまったということです。

一般的に考えればそれは普通のことかもしれません。
葛藤はあったと思いますが、生き地獄のような状態だからこそ、家族の安否を確認したい、母親の顔が見たいと思ったのではないでしょうか。

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中西さんは8月6日以降、市内から避難をされた方たちの介抱をされました。
介護をされていた中で二次被爆者となり、その影響はのちに身体に現れたと言います。

「生きているのは幸運で恵まれている。被服支廠で亡くなられた方々は静かなる被爆者だ。何十年経った今でも魂の声が聞こえる。」と語った中西さんの腕には珠数がつけられていました。

何もできなかった自分に、今出来ることはなんだろうかという問いかけが、被爆者として語り続け、広島陸軍被服支廠の保全に努めている活動につながっているそうです。

「話すことは使命であり、口にするのも辛く、回を重ねてもその重さは変わりません。しかし、自分がやれるだけのことを行い、伝えていきたい。そして、核の廃絶、これが本当に語り続けている理由です。」

中西さんは、どうしたら戦争のない世界をつくることができるのかを、証言を通して伝え続けていると感じました。

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