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ヒロシマの記憶を継ぐ人
インタビュー

No.13

大前提として、語る人も、聞く人も、それぞれの問題意識を持った上で「対話」を行うことがこれからは必要だと思います。

森 匡世Masayo Mori

被爆者

森 匡世さん

今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
広島女学院で国語の教師として長年教壇に立たれていた森 匡世(92)さん。

これからの平和学習のあり方や、若い人たちに向けたメッセージなどを伺いました。

Section 1戦争の反対は対話

今日のインタビューは、みなさんから頂いた質問に私が答えていくような形でよいのですか?

そうですね。私たちから森さんへ質問をいくつか用意をしていますが、基本的に自由にお話してくださって構いません。

私の話をずっと聞いて頂く形ではなくて、対話がしたいと思っています。
話を聞くだけだと、受け身になるばかりでしょう。
最近は、学生に話をする時、一方通行が多くてつまらないと感じています。
学生たちは広島に何をしに来て、どういった問題意識を持っているのか。
私に何を聞きたいと思っているのか。
話を聞いた後で、何を感じ、考え、どう自分の人生に重ね合わせているのか。

そこが見えないことがよくあります。

ぜひ対話形式で進めていきたいです。

広島に来られる学校の修学旅行は、資料館に行って、語り部に話を聞いて、慰霊碑に参拝して帰る、という非常に形骸化しているコースのような気がしています。
戦争や原爆の話は、今の人たちの日常にはない話ですから、聞き手からすると怖いもの見たさという心理が少なからずあると思います。
しかし、語り部から話を聞いて、聞き手が原爆を怖いものだと感じる。そこで終わってしまうとお互い自己満足にならないかしら。
原爆はなくさなくてはいけない。と、その場限りの感想で終わっていては意味がないと
思います。
これからは大前提として、語る人も、聞く人も、お互いが問題意識を持って対話を行うことが必要ではないでしょうか。

私はよく平和って何だろうと考えているのですが、あなたは(平和について)どう考えていますか?

久保田涼子さん

なんとなくですが、平和という概念は、人によって変わるものではないかと思っています。
例えば、今、戦火の中にいる人たちであれば、一般的によくいわれているように、戦争がない世界のことを平和と考えるかもしれません。
家庭内暴力を受けている人にとっては、家庭内でのやすらぎこそが平和ですし、個人によって価値観が違うものです。
だから「平和というのは人によって変わる、とてもぼんやりしたもの。」ではないかと思います。

あなたが言うように平和って非常に抽象的な言葉ですし、非常に難しい問題ですよね。
戦争がなくなれば、そして、家庭が抱える問題が解決すれば平和か、というと絶対にそうではないでしょう。
その抽象的な「平和」を具現化したのが「対話」だと私は思います。

久保田涼子さん

「対話」ですか。

「戦争」の反対は「平和」ではなくて「対話」なんじゃないでしょうか。
「対話」というのは「討論」と違って、お互いの人格を尊重しあい、それぞれの考え方を土台にして言葉を交わすことだと思います。
対話を行うことによって、お互いの共通点や価値観のちがいを認め合い、対話をする前の自分とは変わって、新しいひとつの目的や到達点を共に生み出すことができたら、そこに平和な世界が生まれるのだと信じています。

Section 2軍国少女と被爆体験

昭和12年に女学院に入学された森さんの学生時代の様子を教えて頂けますか。

はい。今思うと私は、軍国少女でした。
生まれた時から戦争が続いていたので、自然とお国のために、天皇陛下のためにという気持ちで生活していました。 中国や朝鮮半島の人々に対する差別感も全体的な風潮でした。
私が入った学校はアメリカ人の先生がたくさんおられ、キリスト教主義の学校でしたから、太平洋戦争下は軍部や周りからスパイ学校といわれました。
弾圧や偏見を受けたので、そのつらい時代を忘れることはできません。

「弾圧や偏見」というのは具体的にどういったものでしょうか?

歩いていると「スパイだ。」といって小さな子供たちから砂を投げられたり、電車に乗れば(校章から学校がわかるので)「おまえは女学院の生徒か?あんな学校辞めてしまえ」と知らないおじさんから言われたりしました。
「広島女学院は倒してしまえ」といった講演会が開かれて、ポスターを貼られたりもしました。
信仰の厚い先生方は軍に呼び出されて罪人のように訪問され、とうとう退職にまで追い込まれました。
ものすごく悔しい思いをしたからこそ、一層のことお国のために勤労奉仕を一生懸命しました。

私は今、92歳ですが、どうして若い人に向けて今も語り続けているんだろうといつも考えています。それはやはり戦争と悲惨な被爆体験が根底にあるからです。

森さんの被爆体験を聞かせて頂けますか。

8月6日当日、私は井口という場所にある 陸軍船舶司令部の賠償課で働いていて、そこで被爆しました。
朝礼の途中で一瞬白い大きな閃光がパッと走り、轟音が兵舎を揺らしました。
至近弾が落ちたと思い、そこにいた全員が我先にと防空壕へ駆け込みました。

翌日、友人を探しに井口から船で宇品へ渡り、そこから今の広島駅近くの東練兵場まで歩いていきました。
東練兵場では、穴が沢山掘ってあり、死んでいる人が投げ込まれて焼かれてました。
その後、(東練兵場の)裏手にある東照宮という神社まで階段を上がっていくと、怪我をした人たちや動けない人たちが沢山集められてずらーっと並べられていました。
その異常な世界、人間の世界じゃないんですよ。それを見た時に何とも言えない気持ちになりました。

そして、これを語らないと私が今日まで語り続けている意味がないのですが、どうしても忘れられないつらい体験があります。
うずくまっている小さな5歳くらいの女の子が細い手に壊れた瓦の破片を持って「お姉ちゃん、お水ちょうだい。」と私に言ったのです。
でも、その時は何とも思いませんでした。そのまま通り過ぎてしまったのです。戦争が終わって、感受性豊かな平常な19歳に戻った時「あの時の私は何だったんだろうか。
どうしてあの子に何の感情も湧かなかったのだろうか。」と自分をずっと責め続けました。

あの少女を見捨てた心の傷は、あざとなって一生消えません。

ある日、ベトナム戦争の報道写真(ソンミ事件)を掲載したアサヒグラフが目に留まって、アメリカ兵がベトナム人の若い兵士のちぎれた首を持って笑っている写真を見た時「ああ、この人の感情と私が小さな女の子を見過ごした感情は同類かもしれない。」と思い起こしました。
笑っているアメリカ兵だって、戦場でなかったらきっと優しいお父さんだったり、隣の気のいいおじさんだったりしただろうに、 この首を掲げて笑っている姿というのが戦争だと実感したのです。

戦争は異常な世界です。人間を非人間にします。
そんな状況の中に置かれると、本来持っているはずの喜怒哀楽や人間性を失ってしまい、どんなに酷い虐殺でもできるのでしょう。それが戦争の怖さだと思います。
軍国少女だった私が、いまは絶対戦争反対論者なのはそういった体験からです。

原爆の後に森さんのお身体への影響はありましたか。

原爆が落ちた1か月後の9月から典型的な放射能被害の症状が起こりました。
紫の斑点や40度の高熱。体中が腫れて湿疹がでました。
また、膝の擦り傷から炎症が広がり、膿がたまるのでもう一か所穴を開ける必要があり、麻酔薬もなく生身に穴を開けて、毎日毎日膿を取るためのガーゼを突っ込まれました。
ガーゼ交換の痛さは身の毛もよだつほどでした。

Section 3戦争が廊下の奥に立っていた

久保田涼子さん

戦争や平和というテーマについて無関心な人たちに関心を持って頂くためにはどうしたらよいと思いますか。

それは大事な問題意識ですね。
私は、人々の無関心というのが一番恐ろしいことだと思っています。
自分自身の体験から、徐々に自分のいる世界が変わっていって、気がついたら戦争になっていたのですから。
有名な俳句の一つに、「戦争が廊下の奥に立つてゐた」という気持ちの悪いものがあります。
気がついたらいつの間にか戦争が家の中に入り込んでいて、うすぐらい廊下の奥に立っていたという内容です。
気が付いてからではもう遅いのです。
戦争はじわじわと国民の生活の中に入り込んできます。
一回はじまりだしたら止めにくい。だからこそ怖いのです。
あなたは、今の現代の状況をどう思いますか? あなたが生きている今の時代に対して問題意識はありませんか?

久保田涼子さん

正直「今の時代」というところまで目を向けて日々生きているかというと、自分の生活や仕事の範囲、そういうところにしか目を向けていない気がします。

そうですね。私も大きく時代が転換しようとしていることをうっすら感じているだけでした。

久保田涼子さん

お恥ずかしながら、日本の政治がどうなっているとか、海外で戦争が起きたということも、自分事として真剣に捉えていると言い切れる自信がありません。

それが怖いことだと思うのです。
私は自分の戦争体験記を書いています。
それを見て下さったら分かると思うのですが、私が生まれたのが1926年(昭和1年)2月。
幼少時代から19歳まではずっと戦争と共に生きた不幸な時代でした。

久保田涼子さん

本当にずっと戦争ですね。

あなたたちがこの資料をもとに勉強しようと思えば、この時代に日本がどのように戦争を推し進めていったかがわかると思います。
ただ、戦争は国家主導であって、その下で生きていた国民の生活や、我々が幸せであったか不幸であったか、どんな辛いことがあったか、そういう面も歴史的背景としてあなたたちは知っていないといけないと思います。
特に若い人は現代史を学んでいませんね。
本当の意味で歴史を学ぶということがこれからの時代にとても大切になってくるのではないでしょうか。

加藤陽子さんが書かれた「戦争まで」という本の中には、日本は戦争にならないためのチャンスが3回あったそうです。その時に判断を間違えた歴史を私たちは持っている。
こういった歴史の流れを知って学んでいれば、今同じような状況に直面した時に、自分自身が判断するための物差しになるのではないかと思います。

若い人たちは、あまり感じていないかもしれないですが、現代の日本が戦前の雰囲気にとても似ていると私は感じています。
私がこんなに年をとっても声を上げなければならないと思うのは、やっぱり若い人たちこそ今の日本の形に対する問題意識を持って頂きたいからです。
そうでないと手遅れになると思います。戦争になったら絶対に取り戻せません。

日本人の考え方というのは過去のことは水に流す、将来のことはその時の風が吹くという感じです。
今の時点でしか考えられない人が多いでしょう。本気で歴史を学び、自分が考える物事の根拠を持ってほしいと切に願います。
各国の歴史認識の違いを含めて、私は「歴史を通して戦争を学ぶことがいかに大切か」ということを若い人に伝えたい です。

Section 4身近にできる平和へのアクション

森さんの考える個人レベルで出来る身近な平和へのアクションは何だと思いますか?

まず 本を読んで、情報を得て、自分の考えを言葉にする力を持つことだと思います。
次に政治に目を向けること。選挙権は18歳から与えられていますが、1票を投じる責任は重いと思います。

目の前の机の上にもたくさんの本がありますね。
活字を読むことが苦手な若い人たちも増えている気がしますが・・・読みやすい漫画だと力不足でしょうか?

漫画もいいものがあるのでしょうが、やはり、活字を読むことが大事だと思います。
本の中で心に響く言葉に出会ったとき、自分自身の宝になります。
気になった言葉に付箋をつけたり、そこで考えたことを文章にして書いたりすると、自分の考えが出来て、心も育ちます。

森さんのおすすめの本があったら教えてください。

半藤一利さんの「昭和史」をおすすめします。
分厚い本なので読むのに少し時間はかかるかもしれませんが一読してみてください。
歴史は本当に面白いと感じるのではないでしょうか。

先ほど紹介した高校生と大学生を対象に書かれている加藤陽子さんの「戦争まで」 という本も読みやすくておすすめです。

戦争で亡くなった 学生の遺稿集「きけ わだつみの声」は、どんな思いで若い人達が戦争と向き合い死んでいったかがわかります。

しかし、ただ学習するだけで頭でっかちでは全く意味がありません。
今の自分に何ができるか、何か自分が行動できないかと思うことも大事です。
知る、考える、行動するということを忘れないでください。

今日は貴重なお話をありがとうございました。