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ヒロシマの記憶を継ぐ人
インタビュー

No.4

広島に住んでいるものとして核廃絶という 私なりの想いを地道に訴えていければ

平野 由美恵Yumie Hirano

被爆体験伝承者

平野 由美恵 Yumie Hirano

今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
アメリカなど各国で講演をされ、被爆体験伝承者第一期生でもある平野さん。
活動を始めたきっかけや、海外で体験されたことなどを伺いました。

Section 1海外で活動を始めた経緯

平野さんは、海外に向けてヒロシマを伝える活動をされていらっしゃいますが、どんな経緯ではじめられたのでしょうか?

平野 由美恵

私は10年間、海外の人たちに向けて日本語教師を行っていました。
そして、SGGという善意通訳組織のボランティアガイドとしても、来広する外国人観光客を宮島などに案内していました。
(注:Systematized Goodwill Guides外国人旅行者が言語障壁をこえて訪日旅行を楽しめるよう、日本政府観光局が実施している外国人旅行者の接遇の向上を図る「小さな親切運動」)
この時は、一般的な観光案内です。
ただ、広島を訪れる外国の観光客の方々は原爆に関心を持つ方が多かったので、あとから資料を送ったりして、自分も勉強をはじめました。
「平和活動」に携わる、というよりも、広島に住んでいるものとして、原爆のことを伝えて、核廃絶という私なりの想いを地道に訴えていければと思ったのです。

日本以外でも、アメリカをはじめ、ペルー、モンゴルなど世界各地で講演をされてきたそうですね。

平野 由美恵

はい。モンゴルは、日本語教師をしていた方のご縁で実現した講演でした。
モンゴルは、平和教育がとても盛んな場所で、たくさんの方が真剣に耳を傾けてくださいました。
アメリカでは日本の文化と原爆のことを伝える「ネバーアゲインキャンペーン(NAC)」という大きな組織があって、各地の教会や学校をまわって下は幼稚園生、上は社会人たちまでを対象に講演を行ってきました。
この組織は30数年前に立ち上がり、私は10期生として2011年に2ケ月活動しました。
アメリカでは原爆だけの話をするのはNGとされていて、日本文化の紹介とセットでするなら講演許可が下りるという事情があります。
私は茶道や書道を習っていた関係で、主人から「向いているんじゃないか」と勧められNACの活動に参加するようになったというのが経緯です。

平野 由美恵

海外での講演の様子

アメリカは原爆投下の当事国ですが、反応はどういったものがありましたか?

平野 由美恵

保守的といわれるテキサス州・オースチンの学校で講演したことが印象深いです。
当時のテキサスで原爆に関する講演は開かれたことがなく、テキサスのオースチンにNACをサポートする方がいらっしゃり、その方の所に滞在して講演をしました。
講演先は事前にメールのやり取りや、ホストの知人等などを通じて決めました。
保守的だと言われているテキサスの中でも州都のオースチンは開放的で大学の街です。
アメリカの社会科の授業のカリキュラムは、2~3月にかけて戦争のことを学ぶことが多く、また、内容は原爆投下が終戦を早めたというところで終わっていました。
オースチンの学校では最初、足を投げ出したりして話を聞いてくれていなかった生徒もいましたが「キノコ雲の下で何があったのかを伝えるために、ここへ来た。」と私が言うと、急に態度が変わり、話を聞いてくれるようになりました。

幅広い年齢層に伝える、となると伝え方の工夫もかなりされたのでしょうね。

平野 由美恵

学校によって講義の内容を変えたりするなど、結構、試行錯誤しました。
ある学校では、紙芝居を使おうとして、子どもを抱いて火の中を逃げ惑う母親の絵がチェックでNGにされ「これでは本当のことが伝わりません!」と抗議したこともありました。
被爆後の様子を描いた絵を見てもらい、子どもたちに「もし、これがあなたの家族だったらどう思う?」と考えてもらったりもしました。

講演の後、感想文など頂いたのでしょうか?

平野 由美恵

はい。今でも大事に保存しています。
ぼくは一生懸命勉強して大統領になったら、絶対に原爆を落とさないようにする』という小学生の言葉や、日本語を勉強しているという子から『ご め ん な さ い』とひらがなで一言書かれてある感想を頂いた時は、思わず涙が出そうになりました。

Section 2伝承者の活動について

平野 由美恵

平野さんは広島市の被爆体験伝承者の第1期生と伺っています。参加されたきっかけをおしえていただけますか?

実は、当初、伝承者養成講座に参加するのには迷いがあったんですね。
その迷いというのは、やはり、原爆のことを伝えるには被爆者の方しか適わないとの思いがありましたから。
私の家族は、被爆していません。終戦直後、上海から広島に戻った母親のお腹の中に、私はいました。
けれども、NACの活動時において、原爆そのものの知識が充分ではないと感じていたので、それを学びたいという意欲が根底にあり、また、学んだことを少しでも多くの人たちに伝えていければと思い、応募しました。

伝承者の養成とは、どのようなことを行うのでしょうか。

伝承者養成講座は、原爆被害の概要など基礎的な知識を学ぶために1コマ120分の授業を一日に2コマ受けるなど、かなり密度の濃いものとなっています。
概ね3年間という月日も必要とされます。
その中で、約30人の被爆者の方たちの証言を聞く授業があり、伝承者候補生は、被爆者の方の証言を聞き、“マッチング”した方の被爆体験を伝承していくこととなります。

自分自身ではないひとの体験を継いで、伝承していく、ということですね。

はい。伝承者制度をせめて、10年前に実施していたら、精度の高い証言を伝承できたのではないか、という意見があり、私もその意見にうなずくひとりです。
現在、主に被爆体験を語られている方たちは、昭和20(1945)年、8月6日当時は、まだ幼く10歳前後です。

10年ほどまえには被爆当時20代の方が多くいらしたのですが、いまはほんとうに少なくなっています。でも、当時の記憶を鮮明に留めている90歳代の被爆者の方もまだ、証言を続けてくださっています。

平野 由美恵

伝承していく上で、大変だと思われたことがあれば教えていただけますか。

沢山ありますが、その中の一つをお伝えすると、
例えば、被爆者の方が「目の前で、熱線で女の人が溶けた。」と証言されるとします。
それは決して嘘ではなく当事者にとっては記憶として正しいものです。
しかし、科学的に数秒間の熱線で人体が瞬時に溶けることはありえないことなので、伝承者は“溶けた”などの表現は避けなくてはならない。
というのが、継いで、伝えていく上で大変ですね。

Section 3若い世代に向けてメッセージ

貴重なお話をありがとうございます。
最後に、私たちのような若い世代ができることについてアドバイスをいただけますか?

平野 由美恵

若い人たちが、伝承者制度以外にヒロシマのことを伝えるのであれば、“平和”という漠然とした言葉にとらわれないで、目に見える具体的なものをきっかけに考えていくのも良いのではと思います。
例えば、広島市内にある慰霊碑や被爆建物、被爆樹木をめぐってそこから感じて考えていくなど、イデオロギーとは無縁なことからはじめていくのもひとつの手ではないでしょうか。
そして、ご自身なりの答えを見つけ出して、想いを伝えて頂きたいと思います。