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ヒロシマの記憶を継ぐ人
インタビュー

No.8

戦争を体験していない私が今の若い人たちと同じ目線で話せる。そういうところに意味があるのかなと思います。

藤澤 千夏Chika Fujisawa

広島市伝承者養成事業 伝承者候補生

藤澤千夏

今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
関西から広島市伝承者養成事業のプログラムに参加された伝承者候補生の藤澤さん(28歳)。
伝承者を志したきっかけや、伝えていきたい想いを伺いました。

◆被爆体験伝承者の養成
被爆者の高齢化が進む中、被爆者の体験や平和への思いを継承し、概ね3年間をかけて被爆体験伝承者を養成する。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110598417580/index.html

Section 1伝承者養成事業に応募したきっかけ

昨年インタビューにご協力頂いた伝承者1期生の保田麻友さんからご紹介いただき、関東にお住いの伝承者候補生の藤澤さんにお話をお伺いします。 本日はよろしくお願いします。

藤澤さん

よろしくお願いします。

まず、どういった経緯で広島市伝承者養成事業に応募されたのか教えて頂けますか。

藤澤さん

はい。この事業自体は4年前に新聞の1期生募集の記事を見て知りました
当時、私は社会人2年目で大阪に住んでいて、伝承者のプログラムがある平日は基本的に仕事だったので応募が難しく、 その気持ちを大学時代に一緒に原爆展をした北海道の友達に話しました。 すると、その友達が申し込みをして1期生として千歳から広島に通うことになったのです。 2期生の募集は、その友達から聞いて知りました。ちょうど会社を退職したばかりだったので、今なら広島に行けると思い応募したのが経緯です。

大学時代に原爆展をされていた、ということは昔からこういったテーマに関心があったということですか?

藤澤さん

小さい頃からではなく、北海道で大学生をしていた時、6~7人で広島平和記念資料館に行ったのが関心を持ったきっかけです。一つの展示がとても印象的で・・・。

どんな展示ですか?

藤澤さん

それは、被爆して亡くなった女の子の制服でした。 服がすごく小さくて。こんなに小さい子が消えてしまったんだと。 そして、当時の14歳はこんなに小さかったんだと衝撃を受けました。 歴史については知識として知っているのですが、自分が今まで漠然と抱えていた被害のイメージと目の前の服から受けるインパクトとのギャップがあって、 やっぱりこういうことはちゃんと伝えていかないといけないと思いました。

「ギャップ」というのは具体的にはどういったものでしょうか。

藤澤さん

頭の中でデータは知っているのです。 その年にどれだけの人が亡くなったとか、歴史的背景とか、放射能の科学的な影響とか。 そういうものは知っているのですが、それは情報であり教科書の中のものであって、あまり自分の生きている世界とは繋がらなかったのです。 特に私は大阪で生まれ育っているので身近に被爆者もいないし、広島の方とは環境が違います。 それが、服を見た時に原爆の被害にあったのは自分の身近にいる普通の女の子だと気づいて、今と昔が繋がった気がしました

なるほど。そこから関心を持って現在まで活動をしてこられたのですね。

藤澤さん

はい。北海道にも被爆者の方がいらっしゃり、札幌市には市民の手でつくられた原爆資料館である 「ノーモアヒバクシャ会館」があります。大学時代にはそこに通い、友人と被爆者の方のお話を聞いたり、市民ホールでパネル展をしたりしました。

藤澤さん

卒業して大阪に帰ってきてからは、しばらくそのような活動はできていなかったのですが、北海道で関わった被爆者の方たちが「若者が興味持ってくれて嬉しい。」 「あなたが希望だから。」と仰ってくださったのが心に残っていて、聞きっぱなしじゃだめだ、自分にもなにかできないだろうか。と思っていた最中2期生の募集があり迷わず応募しました。

Section 2「情報」以外の継承

伝承者養成事業では沢山の被爆者の語りを聞いて、ご自身が継いでいきたいと思う方を選んでいくと思いますが、藤澤さんはどなたを選ばれたのですか。

私が選んだ方は爆心地から1㎞以内で被爆した寺前さんという女性の方です。 講話の中で小さい時に歌っていた歌を歌ってくださいました。子供時代の楽しみは歌うことしかなかったと仰っていて「兵隊さんがんばれ」という内容の歌でした。 唯一の楽しみとして少女が歌う歌が軍隊の応援歌だったという事実が悲しい反面、歌声の美しさと楽しそうに歌う様子が非常に印象的で、この方にしようと思いました。

寺前さんの話で、情報以外のものを継承するとしたら何を継いでいきたいと思いますか?

そうですね、人柄とか、寺前さんが一人の女性としてどんな気持ちになったとか個人的な感情、そういう部分を継承して伝えることが出来たらと思います。 最近、どうして口伝の伝承事業が出来たのだろうと考えているんです。映像資料や本も沢山あって、話を聞くだけならそういったメディアがあるわけですよね。 それなのにあえて人が話して伝えていくことになったのは何故だろうと。 まだ私自身答えがはっきり出た訳ではないですが、聞く人に自分事として考えて頂くことが伝えていく上で大事だと思っています。 だから、戦争を体験していない私が今の若い人たちと同じ目線で話せる。そういうところに意味があるのかなと思います。

今の時代の言葉として通訳をしているという感じでしょうか。

そうですね。同じ時代を生きている人から聞く言葉は生々しくリアルです。 また、感覚も似ているので、同じものを見ても同じように見えますよね。時代が違うと、背景が違って同じように見えないことがあると思うんです。 映像として残すだけだと時代が離れていってしまうから、共感を得にくいのかなと。 世代を超えて言葉で繋いでいくことで、各時代に共感を生んでいく話に発展していくのではないかというのが、現在の私の答えです。

Section 3広島のお店での出来事

「継ぐ」ためには「共感」を生んでいく。大事ですね。

広島に行くときは、一緒にプログラムを受講している方とその日の受講内容の話をしながら毎晩広島の繁華街で飲んでいるのですが、 不思議なことに必ず横のお客さんやお店のマスターが会話に入って下さるんです。
「自分は広島に生まれて育ったけど、今の今まで関心を持たなかった。」とか、「実は、こう思っている。」とか。 「自分たちが継いでいくべきなのに、他府県から来て頂いて申し訳ない。」とか、本当に驚くほどいろんなことをお話してくださって驚きました。

ある時は、私たちが店を出た後にマスターが追いかけてきてくださり「さっきはお店だったから言えなかったけど、僕はこういう話、すごく大事だと思う。 今まで自分はためらっていたけど、話を聞いて何かをしていかなくちゃいけないと思った。」と仰ってくださいました。
広島の人は、おじいちゃんおばあちゃんが被爆者の方も多く、普段は発言するのを控えて、なんとなく避けて通っている話題かもしれないのですが、 それぞれ思うところがある人たちなんだなと感じました。

被爆者の方たちも高齢化し「やはり伝えよう。」という気持ちが出て来られていると思います。 広島の若い人たちも触れたらいけないと思わずに、もっと発信していくようになればいいと思います。

Section 4伝えていきたい想い

これから伝承者として、どんな人たちを対象に話していきたいと思いますか。

藤澤さん

広島市の事業としては、小・中・高・大学など、オファーがある場所に行ってお話しする形になるのですが、個人的には、自分と年が近い20代から30代の人にもお話し出来たらと思っています。

それは、先ほども仰っていた、自分の言葉として被爆者の体験を相手に共感して繋げたいという想いからでしょうか。

藤澤さん

そうですね。私も「どういう風に話したら聞いてくださる方の心に響くのだろう。」と考えながらなんですが、戦争や被爆者の話から入るのではなくて、被爆者ではない一人の若者として、なぜ自分がこのプログラムに携わることになったのかということからお話しすることが大事なのかなと思っています。

藤澤さんのような若い世代の人たちが、どんどん増えていくといいですね。
ありがとうございました。