第三世代が考える ヒロシマ「」継ぐ展

活動報告Report

7/31の会場設営の手伝いを行った広島大学生からのレポート

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広島サテライト会場の設営に携わった広島大学教育学部 第三類(言語文化教育系)日本語教育系コース3年 小川 歩美さんからのレポートです。

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7月31日、CLiP HIROSHIMAでの継ぐ展がスタートしました。 午前から設営ということで会場に向かったのですが、驚いたことにほぼ会場の大きな展示物は既にセットされていました。
「夜なべしました!」と、CLiP HIROSHIMAの石川さんが笑顔で仰っていました。
他のスタッフの方々も早くから準備をしてくださったようで、継ぐ展は色んな方々に支えられて出来ていることを実感しました。

 CLiP HIROSHIMAの継ぐ展会場は、大きなガラス窓と照明のおかげで明るく、パネルやモビールを上から吊り下げる展示方法をとっているので立体感のある会場になりました。

昨年のみなとみらい会場や世田谷の会場とはまた違った雰囲気だと思います。

この日は、テレビ新広島、NHKの2つのテレビ局の取材がありました。
夕方のニュースで『原爆の日まであと一週間』という見出しとともに継ぐ展が紹介されました。

毎年8月6日が近づくと、広島ではメディアが戦争のことを取り上げ、町中に折り鶴もよく見かけます。

広島全体がこの日を特別な日として扱っており、緊張感があるように思います。
この空気感は、もしかしたら(長崎を除く)他の地区ではないのかもしれないなと思いました。

というのも、今年参加者の方々の参加したきっかけや思いを折り鶴と一緒にモビールにしたものを作ったのですが、
それらを一つ一つ読んでみて、広島とそれ以外の地域の平和学習状況の違いや意識差を知ったからです。

広島以外の出身の方は、やはり平和学習が義務教育の中になかったという方が多く、 逆に広島県や隣県の方にとっては原爆のこと、平和学習は当たり前でした。
広島や長崎で育った人も、大人になって離れた土地に行くと、「原爆の日はなんでもない日だったことに驚いた。また、自分の中でもあまり特別な日ではなくなった。」といったお話もありました。

この状況差があるのは事実であり、仕方のないことだと思います。 県でも地域でも、自分の領域の外のことを知るのは難しいことです。

ただ、戦後70年を過ぎ、戦争や平和、原爆のことが時間的に忘れられる要因が強まっていることを考えると、 地域による状況差、空間的な要因は「仕方のないこと」で片付けられないのでは、という気がしました。

時間が過ぎていくのは止められないけれど、空間的にはどんどん広げていくことができます。
そのような意味で、継ぐ展が関東以北でやることの意義は大きいと感じています。

継ぐ展の「継ぐ」というコンセプトは「世代から世代へ」といったイメージですが、広島の空気感を他県へ広げていく、そのような面も感じられた設営でした。

 2017年7月31日 小川 歩美

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