第三世代が考える ヒロシマ「」継ぐ展

活動報告Report

ヒロシマの記憶を継ぐひとインタビュー 第2章 「語り」継ぐ

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今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
岡田恵美子さんは8歳の時に爆心地から2.8キロ離れた自宅で被爆。
当時12歳だったお姉さんは建物疎開に出たまま、今日まで帰ってきていません。
現在、語り部として様々な場所で講演をされている岡田さんにお話を伺いました。

※岡田さんは7/30(木)~8/1(土)までの3日間、企画展会場「聞く」コーナーにいらっしゃいます。

【Section 1 被爆時の状況】

Q.戦時中の日本はどのような様子でしたか?

A.軍事教育がしっかりしていて、私が男の子だったら軍隊に入りたいと思うくらい、当時、兵隊さんというのは世の中で素晴らしいものでした。
ラジオのニュースで東京大空襲、大阪大空襲、四国、九州まで被害が出ていたことは知っていましたが、
日本は戦争に勝っていると流していたものですから、私たちは勝っているんだと思い込んでいました。
ただ、ほとんど武器らしいものは周りにありませんでした。

Q.8月6日当日のことを教えていただけますか。

A.爆心地から2.8キロ離れた場所で被爆しました。
8月6日の朝、空襲警報が解除されたあと母と弟と朝食をとっていると、外がピカーっと光って飛ばされました。はじめは何が起きたのは分かりませんでした。
気づいたら自宅は傾いていて、外に出たら隣近所のお家から遠くまで、みんな家が傾いていました。
しばらくして広島中に火事が発生し、火が追いかけてくるものだから逃げました。
姉は、建物疎開出て行ったきり、今日まで帰ってきていません。

岡田さんのインタビュー全文はこちらから
http://tsuguten.sakura.ne.jp/interview_okada/

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